tomoの徒然ブログ

法律系の仕事に就く筆者が、法律かいろいろなことについてそれなりに書く感じ。

第12回知的財産管理技能検定3級(平成24年7月8日実施)の解答

 ちょっと頼まれて、昨日行われた知的財産教育協会の行う「知的財産管理技能検定3級」の解答を作ってみた。

 せっかくなのでここで公開します。

 なお、あくまで私個人の見解&ざっと調べただけなので誤りがあるかもしれません。その点はご了承ください。

 括弧付きのページ数は、知的財産教育協会が編集する「知的財産管理技能検定テキスト改訂4版」のページ数です。

 参考にどうぞ。

*学科試験
1 ア(P105~106) 
2 ウ(P122)
3 ウ(P104)
4 イ(P181)
5 ア(P160)
6 ア(著作権法76条の2第1項但書)
7 イ(P101)
8 ウ(P139)
9 ウ(P212)
10 イ(商標法50条1項)
11 イ(P127)
12 イ(P187)
13 ウ(不正競争防止法4条、21条等)
14 イ(P189)
15 ア(161)
16 ウ(P143)
17 イ(P196)
18 ア
19 ア(P99)
20 ウ(商標法52条)
21  ウ(P170)
22 イ
23 イ(P209)
24 イ(P174)
25 イ(P135)
26 ウ(P147)
27 ウ(P183)
28 ア(P203)
29 イ(P104)
30 ア(P178)

 

*実技試験
1 ×(P101)
2 ウ 
3 ○(P99)
4 ア
5 ○(P102)
6 ア
7 ×(P172)
8 イ
9 ×
10 エ
11 ×
12 ア
13 ウ(P209)
14 ウ(P184,191)
15 ウ(P125,126)
16 ア(P176,186)
17 イ(P131)
18 イ
19 イ(P148)
20 イ(P159)
21 イ(P166)
22 イ(P188)
23 ウ(P160)
24 イ(P128)
25 ア(P148)
26 イ(P114)
27 平成26年12月17日
28 サービス(P137~138)
29 識別力
30 業務上の信用

 

7月9日追記

作った当日に、主催者側から解答が発表された(解答はこちら)。

なんだ、無駄だったじゃん(笑)

 

というか、2問間違ってしまった。

学科の8問目と実技の16問目。

こっちの方がショックですw

ちょっと後で真面目に検討してみよう。

 

 

長谷部恭男ファンの妄言 1 「リベラル・デモクラシーの規定にあるもの(憲法学のフロンティア)」

1 きっかけは些細
 唐突だが、私は学生時代、長谷部恭男にはまっていた。長谷部恭男とは、東大のロースクールの学長を務めた人で、一般の人には、NHKの不祥事の際、副会長とともにお詫び番組に出演した人、あるいは、爆笑問題の番組に出てた人、といったほうがわかりやすいかもしれない。
 とにかく、私は長谷部恭男のファンであり、ある種、マニアといっても良いかもしれない。
 なにしろ、実務につくまで、彼の書いた論文は国立国会図書館に行ってまでして読み漁り、単独著作はもとより、執筆者の一人として参加していた本は、一時期まですべて所有していたくらいだから(笑)

 そんなわけで、私の部屋には今も長谷部恭男の本が数多く眠っている。

 今日、なんとなく部屋を片付けたらそんな私のコレクターアイテムの一部が発掘されて懐かしくて一部読み直してみた。

 そして、せっかく読んだのだから(?)、何か書こうと思って、このブログを記しているわけである。

 とはいえ、私は長谷部恭男が好きなだけで研究者でもなく、彼の学説を適切に論述できる力も無い。
 なによりそんなに時間も無いので(笑)、著作のうちの一部についてちょっと論じてみようと思う。

 今回対象とするのは、

 「リベラル・デモクラシーの基底にあるもの」「憲法学のフロンティア(岩波書店出版)収録」である(以下、「本稿」という)。

 選んだ理由は、論文自体が学生向けであるから比較的容易であること(だからといってわかりやすいわけではないが)と長谷部の考え方がよくわかる論考だからである。


2 厨二病気味な私
 厨二病の意味は、調べてもらうとして(笑)、私は、結構「国家は何で存在するんだ?」とまじめに考えてしまう学生だった。
 
 そんな学生だったので、憲法の講義はものすごく興味があった。

 しかし、である。

 長谷部以前に読んだすべての憲法の教科書は、「人権」と「国家」の存在を前提として論じられていた。これは、かの有名な芦部先生も同じである。
 
 これには面食らった。

 私が始めて芦部先生の本を読み終わったとき最初に思ったのは

 「説明途中過ぎない!?」

 という印象である。

 私が知りたかったのは、なぜ国家の存在が正当化されるのか、どうして人は人権を持っているのかであって、それらを所与の前提としてどのようにそれらはあるべきかを論じるものではなかった。

 もっと何とかならないのか、と思っていろいろ憲法の本を読み出し、そして、長谷部恭男に出会ったのである。


3 そこが知りたかった
 長谷部恭男は国家の存在を前提としない。もっというと、人権の存在すらも前提としない(少し語弊があるかもしれないが)。

 長谷部恭男は、どうしてそれらがあるかを考え、一定の理由を提示する。

 その理由は、ものすごく大雑把に言えば

 「国家も人権もあった方が人が生きていくのに好都合だから」

 という本当にぶっちゃけたものである。

 私は、そのあまりの当たり前すぎに度肝が抜かれたが、長谷部恭男は、経済学や功利主義などの哲学と近代立憲主義の歴史から、この当たり前のことをきちっと論証している。

 そのなんともいさぎよい(?)姿に私はしびれて、あこがれたわけである(笑)


4 本稿の要
 本稿は、リベラル・デモクラシーという概念の説明を通して、国家と人権の存在理由について長谷部恭男の考え方を示すものである。

 結論から言えば、長谷部恭男の提示する国家の存在理由は、

 「公共財の提供」と「調整問題の解決」の2点であり

 憲法が人権を保障する理由は、

 「切り札としての人権」を守るためと、「民主的政治過程に必要な公共空間(自由な報道など)」を維持するためという2点にある。

 そして、これらの制度を作ったのは、それぞれの個人的嗜好はとりあえずおいといて、いろんな人間が同じ地域に住むために必要なことだけを決めて、それ以上個人的なことには口を出さないというリベラル・デモクラシーを守るためである。

 実は、これだけで長谷部恭男の憲法学の大部分を説明したことになったりする(もちろん、ものすごく大雑把だけど)。

 もちろんこれだけでは意味がわからないとは思うが、重要なキーワードは全部出ている。

 ものすごく大雑把に話そう。

 たとえば、ある国で、カトリックとプロテスタントのうち、どちらか片方以外については宗教として認めないという法律を作ることになったとしよう。

 どうなるか。

 答えは、殺し合いである。実際、かつての宗教戦争では多くの人間が死亡している。

 どちらも自分が正しいと思っているし、何より、宗教はその人にとって生きる指針である。これを禁止されるのであるから、命をかけて争うというのはわからない話でもない。

 そういう状態にならないめには、個人が私的にどのように生きるかについては関与しないほうがいい。勝手気ままに自由に生きさせておけばとりあえず殺しあう必要は無い。

 とはいえ。

 お互いが勝手気ままに生きていたら、それはそれで困る(この辺は日本人にはわかりやすいと思う)。

 困るからルールを作って、ルールを執行する機関を作る。
 
 それが国家である(ちなみに、この論理が社会契約論でもある)。

 もともと国家ができたのは上に述べた不都合を解消するためなのだから、それ以上の権力を持たせる必要が無い。というか、権力は常に腐敗する。

 そういうわけで、国家の活動できる範囲に関しては、そもそもの国家の目的(これが正当性でもある)によって制限されるわけである。

 長谷部恭男はこの点を指摘しているに過ぎない。


5 まとめ
 以上、本当にざっくりとまとめてみた。

 久しぶりに憲法について考えたこともあってちょっと面白かった部分もある。

 もし、私に長谷部恭男の論考について解説してほしいという奇特な人がいれば、リクエストをいただければ、私が今手元に持っている範囲の本であれば解説してみたいと思う。

 まあ、そんな人はいないでしょうが(笑)、気が向いたらまたやってみたいと思う。

 

ネットプリントとピアプロリンク

1 目的
 本稿は、初音ミクなどのクリプトンキャラクターを描いたペーパーについて、ネットプリントを通して頒布すること(以下「ネットプリント頒布」といいます)がピアプロリンクによって認められるかを検討するものです。
 結論から言えば、少なくとも現状のピアプロリンクではネットプリント頒布が認められることは難しいのでないか、というのが私の結論です。

2 きっかけ
 きっかけは、私もお世話になっているボカクリ編集者、中村屋与太郎さん(@NakamuraYa_Y)のツイート。中村屋さんの問題意識としては、「ネットプリントならそれこそ『原材料費程度の支出を補うために必要最小限の対価』な訳」なので、「『小規模』かどうかはかなり怪しい」がピアプロリンクによってクリプトンから許諾をもらうことによって、ネットプリント頒布が出来ないかというものです。

 ネットプリントを利用したペーパーの頒布については、

 http://nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/1110/24/news061.html

 

 ここの記事が参考となります。

 

 その仕組みをざっくりと説明すれば、①制作者がデータをアップロードする、②アップロードの際に発行される8桁の番号をペーパーの受け取り希望者に教える(この際、有償である場合もあり得る)、③希望者がコンビニのプリンターで教えられた8桁の番号を利用してデータをダウンロードし、利用料を支払ってプリントアウトする。
 という3つの段階を通してペーパーを頒布するシステムであると言えます。

3 検討
(1) 「小規模に頒布」要件の該当性
 さて、ここで問題となるのは、ネットプリント頒布がピアプロリンクにいう「非営利有償頒布」に当たるかどうかにあります。
 ピアプロリンクは、「被営利有償頒布」の定義を第2条1項(2)で規定し、当該「非営利有償頒布」に当たる行為について申請と基本的に審査なしの利用承認を認めています。
 そのため、ネットプリント頒布が「非営利有償頒布」に当たらなければ、ピアプロリンクを利用して許諾を得ることが出来なくなるわけです。

 「非営利有償頒布」の定義との関係で、問題となるのは、次の2点です。
  
 まず第1点は、中村屋さんもおっしゃっているとおり、「小規模」の頒布に当たるかどうかという点です。

 この点については、私が前回のブログでも触れた、クリプトンの
 
 http://blog.piapro.jp/2012/02/post-503.html

 の記事が参考になります。

 

 該当箇所を引用すると

「個人のクリエイターの方による、デジタルデータのダウンロード販売につきましては、理論的には大規模の頒布を極めて低廉なコストで行えることから」「原則としてご許諾をいたしておりません」

 という点です。

 この記事から、クリプトンは、デジタルデータのダウンロード(販売)については、「小規模」に該当しないとの解釈をとっていることがわかります。

 ここでいうデジタルダウンロード販売ネットプリント頒布は、厳密には異なるシステムといえますが、デジタルデータのダウンロードによって制作物が頒布されるという点は共通であり、ネットプリント頒布についても「大規模の頒布を極めて低廉なコスト」で行えるものと考えられますから、デジタルダウンロード販売と同様に該当しないという判断になることが予想されます(ネットプリント頒布はデータの保存期間が7日と限定されてはいますが、その期間であれば理論上何度もプリントアウトが可能なので、この点は結論を覆さないものと考えられます)。

 

 なお、これはあくまでクリプトン側の主張なので、裁判になったらどうなるかを少し考えてみましょう。

 ピアプロリンクは、定着した「同人文化」を応援する目的、およびファンの交流を促進する目的で、個人のクリエイターの方による、クリプトンキャラクターを用いた物品の、非営利目的で、原材料費を回収する目的で対価を徴収する、大規模とはいえない数量の譲渡を認めるために作成されたものであると宣言されてます。
 この宣言は、利用規約そのものにかかれたものではありませんが、ピアプロリンクに関するクリプトンのHPにかかれており、公式ブログでも触れられてもおり、契約の趣旨として一定程度裁判上も考慮されものと言えるでしょう。
  
 この目的から考えて、ピアプロリンクは、ざっくりと言って「利益を上げない有償頒布」について「同人制作者に過度な経済的負担をかけないために」、キャラクターの使用について無条件の許諾を与えることを趣旨としていると考えられます。  

 そして、この趣旨からすると、「小規模に頒布」という要件該当性の判断に当たっては、「非営利性を担保する形態の頒布でなければなならい」と考えられます。
 というのは、ピアプロリンクは「利益を上げない有償頒布」を対象としていることから、利益が上げられるような形態の頒布(多くの場合は大規模なものとなることが予想されます)を除外するために、「小規模に頒布」という要件がつくられていると考えられるからです。

 従って、クリプトンの主張は、仮に裁判になったとしても、充分通用するものであると考えられます。

(2) 対価の問題
 さて、「非営利有償頒布」の定義との関係で問題となるもう一つの点は、対価に関する問題です。

 検討の前に、ネットプリント頒布における利用者の金銭的負担に関して少し考えてみます。

 まず、不可避的に生じる金銭的負担として、ⅰコンビニで支払うプリント料金が上げられます。そして、場合によって生じる金銭的負担として、ⅱ8桁の番号を教えてもらうときに制作者に支払う金銭が考えられます。

 ⅱについては、制作者が直接受け取るお金、ⅰについては、制作者に支払われないお金であるといえます。

 それぞれが「必要最小限度の対価」に当たるかが問題となるわけです。

 まず、ⅱについては、「必要最小限度の対価」というのは難しいと言えます。

 「必要最小限度の対価」が想定しているのは、原材料費程度という例示からもうかがえるとおり、二次著作物を制作するために直接かかった費用を想定していると言えます。
 しかし、ネットプリント頒布の場合、印刷費用は、利用者負担であり、データーをアップロードすることは無料であり、原材料費がかかっていないと考えることが出来ます(厳密には、データを制作するためには、PCの購入費や電気代等の必要経費がかかっているところですが、ピアプロリンクはそこまでのものを想定してるとは考えにくいです)。
 そうすると、ⅱは、ピアプロリンクの規定上、二次著作物を制作するために直接かかった費用とはいえず、むしろ、利益に当たるものと考えることが出来ます。
 従って、ⅱについて、「必要最小限度の対価」に該当するということは難しいものと考えられます。

 一方、ⅰについては、まさに二次著作物を(ペーパー媒体として)制作するために直接かかった費用といえるので、「必要最小限度の対価」に該当するとも考えられます。

 しかし、ピアプロリンクは、規定上、必要最小限度の対価について、制作者が直接受け取ることを要求しているようによめます。
 そうだとすると、ネットプリント頒布の場合、印刷料金を受け取るのはコンビニであるため、規定をそのまま適用すると、「被営利有償頒布」に該当しないことになってしまいそうです。

 この点についてはどのように考えるべきでしょうか。

 一つの考え方として、以下のように考えることが出来るでしょう。

 まず、ピパプロリンクは、「同人制作者に過度な経済的負担をかけない」で同人制作が行えることも趣旨としていると考えられます。そうだとすると、大事なことは、同人制作者が制作費用によっていわゆる赤字を負担しないことであり、対価を受け取るのは制作者本人でなくても良いともいえるでしょう。

 このように考えれば、ⅰについても「必要最小限度の対価」にあたるということが可能だといえます。
         
4 まとめ
 以上まとめると、ネットプリント頒布については、ピアプロリンクにいう「非営利有償頒布」の要件である、「小規模に頒布」という点と「必要最小限度の対価」という2点の要件が問題となり、前者については、「小規模に頒布」に該当するとは言えず、後者については、一部については「必要最小限度の対価」に該当すると言えることになります。

 ピアプロリンクの許可を得るためには、両方の要件を満たす必要があるわけですから、結局、ネットプリント頒布についてピアプロリンクの許可を得ることは難しいという結論になります。
 
 ところで。

 中村屋さんによれば、ネットプリント頒布についてクリプトンに確認を取る予定であるとのことです。
 ということは、私の考えが正しいかどうか、その回答によってわかることになっています(笑)。
  
 クリプトンのことですから、ピアプロリンクとは別に、許諾する可能性も無いではありません。

 結論を私自身も楽しみにしているところです。 

ピアプロ・キャラクター・ライセンス(PCL)をよく見ましょう

 ちょっと遅れ気味だけど、三日前、「ITmediaニュース」にこんな記事がありました。

 

 「初音ミク2次創作物のDL販売は原則NG クリプトンが改めて説明」

 

 それで、こっちが元となったクリプトンの説明

 

 今回は、このニュースについての話です。

 

1 PCLって何?

 PCLは、端的に言うと、初音ミク等、クリプトンが著作権を有しているキャラクターを適法に使うためのルールを定めた物です。

 つまり、「初音ミク」のソフト本体についている「エンドユーザー使用許諾契約書」のキャラクター版ということができます。

 初音ミク巡音ルカのイラストやフィギュアなどの同人創作物を作りたいと思っている人は、この規約に従って利用しないとそれは違法な使用ということになります。

 従って、同人制作者の方はすべからくこの規約に従う必要があることになります。

 

2 で、肝心の内容は?

 というわけで、ではどういう形でなら適法に使用できるのかというと。

 これがなかなか一言では説明しづらい部分があります(だから、前回の記事で述べた「ボカロクリティーク」内収録の論文でもこの点にはふれなかったのです)。

 なぜかといえば。

 このPCL、既存の著作権法よりもっと進んだ形の規定の仕方をしているからです。

 それでもあえて一言で言えば。

 「個人が、営利を目的としない範囲で、キャラクターを使用するのであれば適法となる」

 ということでしょうか。

 

3 著作権法上の規定とPCL

 PLCには前文があって、そこには、「キャラクターについて、原画をそのままのかたちで、またはみずから描いたイラストなどの形にして」「その権利者の許諾がないままインターネットなどで公表することは、著作権法などの法律によって禁じられています」、とかかれています。

 著作権法の規定についても基本的にこのとおりです。

 著作権者は、自らが創作した著作物について、ほとんど絶対的ともいえる支配権を持っています。

 頒布、改変、上映、ネットへの公表、2次創作物の作成等、著作物に対するほとんどの行為は、著作権者の許諾がない限り適法に行えません。

 これは、無償だろうが有償だろうが、営利目的だろうが非営利目的だろうがを基本的に問いません。

 クリプトンの許諾なく初音ミクのイラスト描いて、それを方法はどうあれ公衆の面前でさらしたら、基本的には著作権法違反と思ってもらってもいいかもしれません(ものすごく単純にいって)。現実にはPCLがあるので大丈夫な場合もありますが。

 しかし、それでは同人制作が全滅となります。

 そこで、クリプトンは(いってみれば善意で)、「個人で非営利で使用する場合には、別に許諾をとらなくてもいいですよ」とさだめてくれているわけです。

 (もっとも、これがビジネス的に本当に善意といえるかという点は別の考慮が必要ですが。一言だけ述べておけば、著作権者が著作権を主張して侵害者を訴えるのは、侵害者の行為によって自らに損害が生じたときです。しかし、非営利で利用する場合には、クリプトンに現実に生じうる損害は少ない物と考えられる一方、同人制作が盛んになれば、単純に宣伝効果が増えます。それだけとってみても、クリプトンの戦略は非常に有効であると考えられます)

 

4 非営利と無償の違い

 ところで。非営利という言葉と、無償という言葉は意味が違います。

 無償は言葉そのままで、対価を取らないという意味ですが、「非営利」は、対価を取るものも含まれます。

 ちょっと難しいので「営利目的」という言葉から説明しましょう。

 営利目的というのは、「利益を上げて(それを構成員で分配すること)を目的とすること」を指します。

 つまり、有償で売りつつ、かつ、「利益」をあげることが必要なわけです。

 非営利というのは、この目的がないこと、ですから、論理的にいって「利益を上げることを目的としないこと」を指します。

 注意すべきなのは、「利益」をあげるか否かがポイントだということです。

 つまり、有償でも「費用=価格」の場合には、「利益」がないので「非営利」になるということです。

 クリプトンがどうしてこんなややこしい言葉を使っているのかというと、それには理由があります。

 クリプトンは、「非営利目的で、原材料費を回収する目的で対価を徴収する、対面での大規模とはいえない数量の譲渡」について、簡単な申請手続きを取るだけで使用してもよいという「ピアプロリンク」というシステムを構築してます。

 つまりです。

 クリプトンは、無償だけにとどまらず、有償の一部についても、簡単な申請さえしてくれればほとんど自由に使ってもいいよといってくれてるわけです。

 私は、この仕組みを見たとき、これはちょっと画期的なシステムだと思いました。

 こういうシステムがあるから、「無償はいいけど有償はだめ」というわかりやすい規定にせずに、「非営利目的ならいいよ」という規定の仕方をしたわけです。

 

5 今回のクリプトンの発言について

 クリプトンからすると、今回の記事の内容については当然のことだということになります。

 デジタルデーターのDL販売は、誰でも簡単に、低コストで行えます。

 つまり、ちょっと定価を高くするだけで簡単に「利益」が出る可能性があります。

 さらに。

 理論的には、DL販売は、インターネットに接続しているすべての人に対して販売可能なわけですから、これはもう大変な「利益」をうむ可能性があります。

 そういうわけで「非営利目的」とはいえなくなってしまっているのです。

 従って、原則として許諾しませんということになるわけです。

 

6 おわりに

 クリプトンが現在認めてくれている初音ミク等の利用方式については、著作権法より拡大されたものです。

 それがクリプトンの善意に基づくかどうかは別として、もし、クリプトンが現在のPCLを破棄したら、現在の同人制作者がの利用形態はほとんどが違法となります。

 そして、PCLに従わない利用形態が多数発生した場合、クリプトンがこのPCLを撤回するという可能性はあり得ます(私個人的には、現実にはあり得ないと思いますが)。

 同人制作者の方は、その点を考慮に入れて、PCLを守った形での使用継続をされた方がいいかと、私は思います。

「VOCALO CRITIQUE vol2」に寄稿しました。そして、補足も

1 寄稿してみた。(あるいは宣伝)

 「VOCALO CRITIQUE」という雑誌があります。

 ボーカロイドに関する批評を読みたい! という人たちの熱い思いから、2011年6月11日に創刊された同人雑誌です。

 いわゆるひとつの評論誌というやつです。

 イメージ的には、青土社から刊行されている「ユリイカ」が近いでしょうか(といってしまうとかなりたいそうなイメージになってしまうかもしれませんが)。

 ボーカロイドに関して何でもいいから論じてみたいという方があつまってあれやこれや論じているという形の雑誌になります。

 その最新号である「VOCALO CRITIQUE vol2」に私も寄稿させてもらいました。

 タイトルは、

『「初音ミク」の法律問題』で、

 テーマは、

ボーカロイドを使用して同人制作を行った場合、著作権法上その適法性がどのように判断されるか」

 というものです。

 現在、とらなのあなさんにて委託販売がされておりますので、そこから手に入れることができます。

 ご興味のある方は、是非、お買い求めください(なお、過去の「VOCALO CRITIQUE」も手に入れることができます)。

 「VOCALO CRITIQUE」の公式ページはこちら

 

2 『「初音ミク」の法律問題』補足

 ここから先は、寄稿させてもらった『「初音ミク」の法律問題』(以下、「本論」といいます)の補足になりますので、先に本論をお読みいただければと思います。

 本論では、字数の関係上、参考文献を全くあげることができませんでしたので、ここであげておきたいと思います。

 といっても。

 本論でも述べてますが、ボーカロイドに関する法的論述は、私の知る限り2つしかありません(ご存じの方は教えていただければ幸いです)。

 なので、基本的には著作権法に関する本がメインになるかと思います。

 では、以下参考文献です。

 

Ⅰ SFマガジン早川書房) 2011年8月豪 (特集初音ミク

  「初音ミクを縛るのは誰? ーボーカロイドを巡る法律問題」 小倉秀夫

 

 ボーカロイドに関して、概括的に著作権法上の権利を論じている論文。著者は、著作権法のコンメーンタール(条文について逐一解説した本)の共著者でもあり、内容については安定している。

 とはいえ、概括的に多くの問題について簡潔に論じているため、たぶん、著作権法を学んだことがある人でないと理解は難しいかも。

 私的には、概括的に問題を見渡せるので、本論作成の際にかなりお世話になりました。

 

Ⅱ ユリイカ(青土社)12月臨時増刊後 2008年vol40-15 総特集初音ミク ネットに舞い降りた天使

 「初音ミクの二つの身体 存在するもの/想像されるもの」 白田秀彰

 

 ボーカロイドに関して法的に論じたもう一つの論述がこの論文。著者は、知的財産を専門とする法政大学の準教授。印象としては、法的な論文というより、法的な側面から初音ミクを評論したような、そんな感じ。

 とはいえ、初音ミクの制作会社であるクリプトンの提供する使用許諾契約に関する考察には光るものがあって、すごくおもしろかった。

 

ここから先は、著作権に関する基本書をあげます。基本書はいくらでもありますが、とりあえず、私が参照にした二冊を。

 

Ⅲ 著作権法入門(有斐閣) 島村良氏など共著

 

 入門としては非常に読みやすい上に、本文が約300頁と薄いので手軽。私もすんなり読めました。

 とはいえ、内容的にはすごく最先端な話を扱っているので、入門書といってもしっかりしたものがあります。

 私が一番うれしかったのは、ちょっと専門的ですが、要件事実と主張立証を意識した論述があり、実務家的にはすごくありがたかったです。

 

Ⅳ 著作権法有斐閣) 中山信弘

 

 ものすごい大著ですが、書いている著者の先生は、この分野の大家中の大家。とりあえず多少は著作権法を扱いたいのなら、この本は読まなければならないんじゃないかと思います。

 論述そのものはわかりやすいのですが、完全に専門書なので最初からこの本に挑むのはちょっと大変かもしれません。

 

 

3 最後に

 参考文献は以上ですが、ぶっちゃけると、ⅠとⅡを見れば、私の論述の内容はカバーできてしまう気がします(笑)。

 私の本論の目的としては、あくまで同人制作者の方を対象にしつつ、なるだけわかりやくすく著作権法初音ミクについて論じるという点にありましたが、成功したかどうかはみなさまのご判断を仰ぎたいと思います。

 ご意見ご質問等あれば、コメントいただければと思います。

著作権法シリーズ1 「著作権法の目的」 

1 本稿の目的
 本稿の目的は、著作権法は何を目的として(何を守るものとして)制定されたかを考えることにあります。
 結論からいえば、著作権法は、「文化の発展」を目的とするものであり、その手段として著作物が公正に利用されるように配慮しながら

、「著作権者等の権利の保護」を図るものであるということができます。

2 法律の目的を探る意味
 あらゆる法律は、何らかの目的を達成するために制定されています。刑法は、人の命を守るために、殺人罪という罪を定め、それを犯し

た者に刑罰を科すことによって、人の命を守っています。
 
 つまり、極論すれば、法律は何らかの目的を達成するための手段(道具)にすぎないのです。
 そして、すべての道具は、「それが何のために作られたのか」によって、利用される場面が決まってきます。
 車は、「高速に長距離を移動するため」に作られた道具です。従って、車の使用用途は、基本的に移動手段としての利用に限定されるこ

とになります。
 このことは、「道具」である法律も同じです。
 ある法律が使用される(これを「適用する」と言います)場面も、「それが何のために作られたのか」(これを法律の「趣旨」と言いま

す)によって限定されることになるのです。
 つまり、法律は、趣旨によって、どのような場合に適用されるのか、そして、どのように適用されるべきなのかが決定されることになる

といえます。

3 著作権法の目的
 著作権法は、第1条で、「この法律は、著作物並びに実演、レコード、放送及び有線放送に関し著作者の権利及びこれに隣接する権利を

定め、これらの文化的所産の公正な利用に留意しつつ、著作者等の権利の保護を図り、もつて文化の発展に寄与することを目的とする。」

と定めています。
 
 余談ですが、最近の法律はその目的が第1条に定められていることが多いです。その為、筆者を含めた実務家も、見たことのない法律に

触れる場合は、まずは第1条から見て、その目的を探るということをよく行います。新しい法律に触れる場合は、まずは第1条を読んでみ

ることをお勧めします。

 さて、本稿の主題の著作権法の目的ですが、第1条の文章を細かく分解すると、以下のようになります。

 ①著作権法は、著作物等に関する著作者の権利とそれに隣接する権利を定めている(第1文)
 ②著作権法は、文化的所産(単純に言うと著作者が作ったもの)の公正な利用に配慮している(第2文)
 ③著作権法は、文化の発展を目的として、その為に著作権者等の権利の保護を定めている(第3文)

 だいたい、以上の3つの文章に分けることができるでしょう。
 ここから、著作権法の目的は、「文化の発展」であり、その為に「著作権者の権利の保護」を図っているというものであるということが

言えることになります。


4 著作権法の解釈についての考え方
 さて、では、著作権法が「文化の発展」を目的としてるということは具体的にはどのような意味を言うのでしょうか。

 そもそも、著作権法は、著作権者に対して一定の保護を与えることによって、著作権者が主に経済的利益を得れるようにし、創作へのイ

ンセンティヴを与えるという構造をとっています。
 要するに、創作者が自分の作った作品を通して収入を得れるような仕組みを作って、その人が創作しやすいようにするために著作権法

権利を定めているのです。
 そして、創作者が自由にいろいろな創作ができれば、「文化の発展」が果たされます。ここで言う文化の発展とは、今は、「面白い小説

が読める」ぐらいに思っていただいて結構です。
 いろいろな人がいろいろな小説を書けば、面白い小説が増えるというのはわかりやすいかと思います。

 以上が、「著作権者等の権利の保護」を定めことによって、「文化の発展」を図るということの具体的な意味になります。

 しかし、「文化の発展」を図るという目的はこのことだけを意味するわけではありません。

 第1条は、文化的所産の「公正な利用」に配慮することを求めています。
 これを「文化の発展」との関連で考えると、その意味は以下のようになります。

 当たり前のことですが、優れた著作物が作られても、その作品に多くの人が触れることができなければ、「文化の発展」は果たされませ

ん。
 どんなに面白い小説も、読まれなければ意味はありません。
 つまり、「文化の発展」を図るためには、著作者の権利を保護するだけでなく、利用者の利益についても配慮しなければならないわけで

す。
 そして、著作権者の権利と利用者の利益は基本的に対立します。

 利用者からすれば、たとえば、親の買った本を子供が自由にコピーすることができれば、子供は新たに本を買う必要はないわけですから

、非常に利益があります。
 一方で、そんなことを許してしまえば、著作権者は、売れたはずの本が一つ減るわけですから、経済的な損害をこうむります。
  
 このように両者は基本的に対立する構造を持っています。

 そこで、著作権法は、「公正な利用」に配慮すると規定しているのです。大雑把にいえば、ここで言う「公正な利用」とは、どちらか一

方に利益になりすぎないようにする、という意味であるといえます。

 別の言い方をすれば、著作者の権利と利用者の利益を、「公正な利用」を支柱とするシーソーの両端において、シーソーがバランスの取

れる状態に置かれることを著作権法は求めているといえます。

 従って、個々の条文の解釈・適用についても、この二つの対立する利益を常に念頭に置く必要があるということになります。

5 まとめ
 著作権法の目的は、「文化の発展」です。その為に、著作者の権利が保護されています。一方で、利用者の利益にも配慮しなければ「文

化の発展」が図られないため、著作権法は、「公正な利用」に配慮するという形で利用者の利益も考慮しています。
 
 具体的な著作権法の問題を考える時も、以上の視点を大事にして、著作者の権利と利用者の利益の両方の利益のバランシングに注意する

必要があることになります。

自炊代行に適法の余地があるのか?

1 目的

 この記事の目的は、現在問題となっている「自炊代行」について著作権法30条1項(以下「本条」といいます)との関係で適法となる余地があるかを考えることにあります。

 結論から言うと、現在問題となっている「自炊代行」は、本条との関係では違法と判断される可能性が高いということになります。

 

2 定義と提訴の経緯

 「自炊代行」とは、簡単に言うと、書籍を購入した人から依頼を受けて、その書籍について裁断機やスキャナーを用いて、PDFなどのデータにデータ化することを業務として行っている業者を言います。このような業者は、ここ数年の消費者の強いニーズを受けて、数が増えているといわれています。

 東野圭吾氏や弘兼憲史氏ら作家・漫画家7人が23年12月20日、自炊代行を行う業者に対し、その業務の差し止めを請求して、東京地裁に裁判を提訴しました。

 実はこの提訴に先立って、出版社7社と作家、漫画家122名が平成23年9月5日、自炊代行を行う業者に対して公開質問状を送付しています。これを受けた自炊代行業者の中には、業務をやめたり、質問状内に名前を示して自炊代行の拒否を示た作者の作品については今後、データ化を行わないと回答しているところもありました。

 今回の提訴は、質問状の回答において、今後も業務を行うと回答していた業者に対して行われたものです。

 

3 著作権法上の原則

 著作者は自分の著作物に対して、著作権法上、複製権を有しています(著作権法21条)。複製とは、「印刷、写真、複写、録音、録画、その他の方法により有形的に再生すること」をいいます(著作権法2条1項15号)。たとえば、コピー機を使った複製や、PCのハードディスクへダウンロードすることがここに含まれます。

 自炊代行の行っている行為は、書籍の内容をデータとして新たに作成するわけですから、この複製に該当します。

 そして、著作権者が複製権を有しているとは、原則的に著作権者の許諾がなければ、複製が違法になるということを意味します。

 従って、自炊代行の行っている業務は、著作権者の許諾がなければ原則として違法となることになります。

 ただし。

 著作権法上、著作者の権利行使についていくつかの例外としての制限が定められています。本条もそのうちのひとつであり、「私的使用のための複製」といわれるものになります。

 ここで、権利行使について制限されるということは、本条のような例外規定に該当する場合は、著作権者の許諾なしに複製をおこなっても違法とならないということを意味します。

 従って、自炊代行についても、本条に該当するのであれば、適法と判断されることになります。

 このように、現在の著作権法上は、著作権者の権利を定め(複製権や上映権など)、原則、許諾がない限りその権利に該当する行為を行うことは違法となるが、いくつかの例外規定に該当する場合だけ、許諾がなくとも適法となる、という構成をとっています。

 つまり、原則、著作権者の許諾がなければ違法になってしまうということです。

 

4 自炊代行の本条該当性

 本条は「著作権の目的となっている著作物…は、個人的にまたは家庭内その他これに準ずる限られた範囲内で使用すること…を目的とするときには、…その使用する者が複製することができる」とっ規定しています。

 このように本条が私的使用のための複製を適法としているのは、以下の理由にあるとされます。

 第1に、このような私的使用に限るのであれば、権利者に経済的損害を与える恐れが少ないという点です。

 著作権法は、著作者に著作権という権利を与えることによって、経済的インセンティヴを与え、著作者の制作活動を保護することを目的としています。要するに、何かを作ればお金が入るシステムにして、著作者が生きていけるようにしていこうというものです。

 私的使用は、基本的には、個人が買ったCDの音楽をi-Podに移すなど、ごく限られた範囲の複製を念頭に置いているので、このようなものであれば経済的損害も少ないと考えられたのです。

 第2点は、このような行為まで違法であるとすると、個人のプライバシーを侵害する恐れがあるという点です。

 前述したように、個人が音楽を移し替える行為まで違法であるとすると、著作者は、このような個人の行為を把握しようとします(違法ならば、裁判でお金をもらうことができるため)。つまり、著作者が個人のプライベートな行為まで(いつi-Podに移したかとか)踏み込んでくることになるわけです。

 では、自炊代行の業務は本条に該当するでしょうか?

 問題となるのは、「その使用する者が複製する」という規定です。

 私的使用のための複製は、使用する個人自らが複製することを要求しています(制定過程での議論でもこの点は強調されています)。

 自炊代行業者は使用する本人ではないため、この規定に該当しないことになります。

 さらに言えば。

 自炊代行業者によって、書籍のデータ化されると、インターネットを使った配布が容易になります(実際に配布されるかどうかは別として、その危険性は高くなります)。

 そうなると、著作権者に与える経済的損害は甚大なものになりえます。つまり、自炊代行の行っている行為は、本条が規定された趣旨に反する行為と評価し得るということになります。

 また、自炊代行の行為が違法とされても、今回のように提訴されるのは業者なので、個人のプライバシーを侵害するという可能性は少ないです。

 つまり、本条の趣旨からしても、自炊代行の行為を適法とすることは難しいということになります。

 

5 結論

 自炊代行の行為は、現在の著作権法を前提とすると違法である可能性が高いということになります(通説もこのように考えているようです)。

 ところで、著作権法上違法であるとうことと、自炊代行のような行為をビジネスとして許容すべきかというのは全く別の問題です。

 自炊代行業者がはやったのは、消費者のニーズがあるからです。書籍好きの人からすれば、書籍を書籍のまま保存するというのは、場所も取るし、気軽にどこでも読める書籍の電子化というのは本当に魅力のあるものです。

 このような消費者のニーズに反して、いつまでも紙の媒体にこだわるのは、ビジネスモデルとしてあまり得策でないと言えるでしょう。 

 また、そもそも、著作権法は、「文化の発展」を目的として規定された法律です。多様な著作者の著作物を通じて、文化の発展を果たそうとするものです。そうであれば、より多くの人間がより簡単に書籍を読むことができるようにすることは、著作権法上の究極的な目的にかなうことにもなります。著作権法は、既得権益を守ることが目的ではありません。

 そのような観点から考えた場合、今回の提訴がはたして社会的に許容されるものかどうかはまた別の問題ということになります。

 今回の提訴についても、裁判所がこのような社会の変化に応じて、自炊代行の行為を適法とする可能性も(かなり少ないですが)ないとは言えません。